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ワーキングケアラーの呼称を巡る問い――「ビジネスケアラー」という造語がもたらす尊厳の欠如と社会課題の歪み

CC管理人

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2026.05.18

■はじめに:言葉は「所属」と「尊厳」を内包する

私は、働きながら母の介護に直面している「働く介護者」である。昨今、このような存在は社会的に「ワーキングケアラー」と称される機会が増えている。
人が他者や自分を特定の言葉で指し示すとき、そこには単なる事実の記述以上の意味が生じる。言葉によるラベリング(属性付け)は、同じ境遇にある人々との「所属感」を生み出し、孤立を防ぐアイデンティティとなり得る一方で、その言葉の持つ響きやニュアンスには、対象となる人間の尊厳や人格、人権そのものが乗る。だからこそ、人を表す言語の選択には、極めて慎重であるべきだ。

「ワーキングケアラー」という言語は、言語として存在しているが故にそこに議論の余地はない。しかし、近年のビジネス界や一部メディアにおいて、これとは異なる「ビジネスケアラー」という造語が急速に流通し始めた。私はこの言葉に対し、当事者として言葉に尽くしがたい違和感と、強い嫌悪感を抱き続けている。なぜなら、この造語を使用する明確な根拠や合理的な理由が存在しないばかりか、この言葉が内包する不適切さが、ケアラーの尊厳を深く傷つけているからである。

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■行政のパラダイムシフトと「ビジネスケアラー」の排除

「ビジネスケアラー」という言葉が抱える問題性は、決して当事者の感情論だけに留まらない。すでに国の行政機関や政策決定の場においても、その不適切さが議論の対象となり、明確な排除への動きが進んでいる。

象徴的なのは、国の最高方針である「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)2025」において、「ワーキングケアラー」という表現が政府の正式なスタンダードとして採用されたことである。これに呼応する形で、かつてこの造語を頻繁に使用していた経済産業省の動きにも劇的な変化が起きた。経産省は公式ホームページから「ビジネスケアラー」という文言を削除。さらに2026年3月には、同省が発行する「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」が改訂され、冊子内から「ビジネスケアラー」という言葉が完全に一掃された。

この行政の迅速な方針転換は、この造語が内包する危うさや不適切さを、国が公に認めた結果に他ならない。しかし悲しいかな、一度世の中に流通してしまった言葉は、行政のガイドラインから消えてもなお、社会の底流に居座り続ける。当事者の頭越しに言葉だけが一人歩きし、ケアラーの心に爪痕のような違和感を残し続ける現在の状況は、かつて医療や介護の現場で認知症のある人々を記号的に扱った隠語、「ニンチ」が辿った構造と酷似している。「ニンチ」という言葉は、当事者の人格を病気というラベル一つで塗りつぶす、尊厳を傷つける不適切な俗称として、現在ではマスメディアのガイドラインでも明確に使用が制限されている。「ビジネスケアラー」もまた、同様の道を辿るべき不適切な言葉である。

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■ 感情論の視点:「ビジネス」という言葉が剥ぎ取る「家族の情愛」

では、なぜ「ビジネスケアラー」という響きが、これほどまでに当事者を傷つけ、揶揄されているような感覚を与えるのだろうか。それは「ビジネス」という言葉の本質に起因する。

本来、近代社会における「ビジネス」とは、利害関係(損得勘定)に基づく行為であり、合理主義や効率性、そして「本音と建前」を使い分ける感情労働の領域である。一方で、家族の介護に向き合うケアラーの原動力にあるのは、割り切れない「感情」そのものである。「家族だから」「大切にしたいから」という愛情や葛藤、生々しい人間の結びつきの中で、日々苦悩しながら介護を行っている。

それにもかかわらず、そこに「ビジネス」という言葉を冠することは、ケアラーの純粋な動機や家族への情愛を、あたかも「損得勘定」や「業務的な役割」「建前」で動いているかのように冷徹に記号化してしまう行為である。当事者からすれば、自分たちの命がけの営みや感情を、市場経済の論理で回収され、馬鹿にされているように感じてしまうのは当然の帰結と言える。

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■ 構造論の視点:社会課題を歪める二つの致命的理由

仮に、こうした「言葉が与えるイメージ」という感情論を完全に排除したとしても、実務的・社会的な観点から「ビジネスケアラー」という言葉は厳しく制限されるべきである。その理由は主に二点ある。

① 対象者に対する致命的な誤解を招く

第一に、この言葉は「誰を指しているのか」という社会課題の主語を著しく混乱させる。「ビジネスケアラー」という文字面を見たとき、これを「プロの介護従事者(ビジネスとして介護に携わる人)」と誤解する一般社会の受け手は少なくない。
かつて「介護離職防止」というスローガンが掲げられた際、それを「(深刻な人手不足に悩む)介護職員の離職防止」と勘違いする人が後を絶たなかった。これと同じ誤認が今、再び起きようとしている。言葉の定義が曖昧であれば、その先にある「仕事と介護の両立支援」という本来の社会課題の本質や、本当に予算を投じるべき対象が有耶無耶になり、政策や支援の方向性を歪めてしまうリスクをはらんでいる。

② 多様性の欠如と労働に対する傲慢さ

第二に、この言葉は「働くこと」に対する視野が極めて狭く、多様性を欠いている。「働く」ということの本質は、すべてが「ビジネス」という経済活動に集約されるわけではない。公務員がいい例である。公務員のお仕事は「ビジネス」ではない。また日々、目の前の業務に汗を流している労働者の中で、自分の仕事を「ビジネス」と意識して取り組んでいる人がどれほどいるだろうか。生計を立てるため、あるいは自己実現のため、地域社会への貢献のためなど、働く目的や職種は多様である。働く介護者を表現する言葉として「ビジネス」を採用することは、現代社会が目指すべき多様性(ダイバーシティ)の理念からも完全に逆行している。

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■ おわりに:メディアと社会に求める明確な説明責任

「明確な理由もなく、単なる流行りやインパクト重視で作られた造語によって、現に深く傷つき、疎外感を抱いている当事者がいる」
この厳然たる事実こそが、「ビジネスケアラーという言葉を使ってはならない」とする、これ以上ない十分かつ絶対的な理由である。

言葉を扱うプロフェッショナルであるマスメディアや、企業の経営陣、有識者の方々には、今一度この問題の根深さを真摯に考えていただきたい。もし、行政の方針に逆らい、当事者の尊厳を傷つけてまでなお「ビジネスケアラー」という言葉を使い続けようとするのであれば、その明確な根拠と、ワーキングケアラーでは代替できない理由を、当事者の前に立って明確に説明すべきである。言葉の重みと人権に対する無自覚な姿勢を改めることこそが、本当の意味での「仕事と介護の両立」ができる社会への第一歩となるはずだ。