【第21回議事録】介護をしながら生活するための『働き方』を考える

2017年03月18日

今日の参加者

【Aさん】 現在、母を介護中。横浜から参加。 【Bさん】 父が脳出血で倒れ、介護度5となった。母は認知症。サービスをフル活用して介護を続けている。 【Cさん】 母が要介護5、認知症で14年看ている。先日手術をしたが、日々費用がかかるようになってきた。この先の自分と母の人生を考えていかないといけない。 【Dさん】 親族の看護をし、2年前には父を看取り、あとは母だけとなったが気付いたら自分の人生が何もない。あえて実家を出て遠距離介護をしている。 【Eさん】 正社員として22年働いている。実家ぐらし。父が脳出血で倒れて他界。同時期に母が認知症となり、2年前にグループホームへ入所。現在は入居者介護の家族という立ち位置。

介護をしながらどのような働き方をしていますか?

【Aさん】 フリーランスで歌の先生をしています。予約を受けてスタジオへ出向くというスタイルです。 【Bさん】 働きに出ている月〜金までの平日は、ヘルパーやデイサービス、訪問看護を隙間なく入れている。朝は8:45から夜8時9時まで。また、土日も仕事があればおまかせする。 子供は、下は小学5年生だが上はもう社会人になる。育児のためにはゼロ歳保育をしたり、仕事を何度か替えたりした。 【Cさん】 新卒で入社し18年勤務している。自宅では5人のヘルパーが住み込みで母のお世話をしている。自分で世話をすると事件を起こしそうだった。 仕事を辞める考えはない。自分のためにも、仕事をすることは必要。 【Dさん】 30代の頃に、派遣に切り換えた。当時の職場では、自宅が近いので昼休みに家族の食事の準備をしてくるという人もいた。 私の母は介護サービスを入れたがらないので自分が直接世話をするしかなく、会社を辞めた。再び自分が働くためにヘルパーを入れたが、母に信頼させるのに手間がかかった。 その後は業務委託などでつなぎつなぎしてきた。好きな仕事をしたかったのに、スキルが身につかない。空き時間に勉強して、面接でプレゼンして採用されることができた。 【Eさん】 私は、父が倒れた事自体がショックだった。意識がわからない状態だったし、「父の介護がこれから始まるのだ」と感じ、どうしようと思った。 会社は、最初は「お父さんちゃんと看てあげて」という対応だった。でも母と一緒に看ていこうという矢先に、母もおかしくなった。会社には母のことは7年くらい言えず、やがて「落ち着いてきたら母に任せられないの?」と言われるようになった。クビを恐れて事情を言い出せなかった。 父は大学病院に入院していたので、ソーシャルワーカーが付いてくれ、その方に相談しながら介護をやっていた。会社には結局言えないままだった。 2009年に会社統合があり、業務を削られるのではという危機感から精力的に仕事して迷惑をかけないようにした。制服にあえて着替えて、仕事に集中することで気持ちを切り替えられるので、母にも優しくなれる。 今は社内のダイバーシティの取り組みに参加して、いろんな働き方があることを知り、事情を話してみた。

育児は普通のことなのに、介護はいまだに普通のことじゃない

参加者から、「介護はいまだに普通のことじゃないと思われている。育児は普通のことなのに」という発言がありました。これを受けて、現在の世間の認識や、それを変えてゆくには何を発信していくべきかという議論が展開しました。 ・介護はいまだに普通のことじゃないと思われている。育児は普通のことなのに。 ・昔は育児も普通のことじゃなかった。私が一人目を出産した時は、介護休業は事務職の方しか取れなかった。私は適用対象外だったので、自分で福利厚生費を払っていた。 【和氣】 社会は、育児休業を浸透させるのに20年かかっている。でも介護について浸透させるのにも20年かけるつもりはない。 自分の新卒の時は、総合職女子1年目と呼ばれた。自分たちが全ての前例となっていった。 介護だって、前例がないので今作っていかなければいけない。どんどん事例となるために、介護者側から言っていかなければならない。会社も実態を分からないだけなので、言ってくれないと困る。 ・周囲からの圧力が強い。介護は家族がやるべきと言われてしまう。 【和氣】 ケアマネジャーは正式には「介護支援専門員」と言うように、介護職はプロ。 なのに支援員に家族を算入するのはなぜなのか。 お母様が自力で出来なくなった部分のコーディネートをケアマネジャーがちゃんとやれればよくて、家族にすべて背負わせる必要はないはず。 ・どこまでサービスを入れられるかは本人の介護度によるので、お金をかければできる。微妙なところはケアマネジャーが対応しきれない。 ・介護者はマネジメント能力が必要。どのようなケアマネをつけるかを見抜かないといけない。 ケアマネは、自分の一言でどれだけ影響があるかを理解してほしい。 ・一人っ子だと相談できる兄弟がいない。 24時間巡回サービスを付けると、馴染みのヘルパーを入れられない。制度が違うらしい。 ー 定期巡回と随時巡回があるそうなので、工夫はできるのでは。 【和氣】 なぜ会社が介護離職防止に取り組むのかというと、仕事と介護を両立できなくなる従業員が多いから。両立できないのは、介護環境の整備ができてないから。 介護者=素人は整備できないが、ケアマネジャーならできるはず 。いろいろサービスを入れて、家族の手を使うのは最終手段。 なのに家族がやるべきという認識は強い。ケアマネ自身も、近所も、会社制度がいくら整っていても、まだそういう社会。 ・同意。事件になりそうだから別居したのに、周囲が理解してくれない。 ・自分は、「人事に何か言う時は退職する時」という考えを持っていた。 仕事を取られて自分は不要なのかと思ったりしたが、育休産休の場合は、早期出産した方がいたら1週間でその制度ができた。だからやっぱり声は上げた方がいい。 【和氣】 ボトムアップで会社を変えるのはすごく難しい。 ある会社の例では、まずは仲間作りから始め、会社に必要性を認めさせた。 ・自分の会社では、社員の実態把握を始めている。アンケートを組合主催で実施し、管理職には全社向けアンケートを実施する。結果をまとめて人事へ情報提供している。 私も個人的に組合のメンバーに話している。まだ現状把握にとどまり、結果を踏まえてどうこうまではいってない。口コミで当たりをつけて、個別ヒアリングというところ。 ・うちの場合は厚労省のアンケートに参加した。 【和氣】 「何で家族が介護に携わるのか?」といった疑問にしても、違う価値観を持つ人たちが発信していかなければいかない。 今は小中学校でも認知症を習う。メディアを使って国がいろいろやっているが、そこで止まってしまう。 介護の当事者は自分で欲しくて知識を取りに行くが、知識を取りに行かない人も多すぎる。考え方を切り替えて行かないといけない。 介護をしていない管理職は理解がない。介護者は周りの人の目が気になり、言ったらどうなるかが怖いから言えずに辞めて行く。そういうことがあるのだ、という理解がない。社員研修ででも言うべき。 例えば「介護になったら報告せよ」ということを義務化しようとする働きかけもある。 ルールを守らなくても罰則はないが、守ればもれなく介護に必要な情報はもらえる。 ・言ってもいいという風潮があれば言いやすかった。というより、自分の言いやすい時期に来た時にいう風潮があるといい。7年言わなかったことに後悔はない。言いたくないときに義務化はつらい。 【和氣】 会社としては、介護疲れでぐちゃぐちゃになったときに「辞めます」と決心されても困る。ならどんな時期がいいのか? 人事は介護保険が適用されたときになんて考えているが、それでは遅い。 ・考課の際に、「自分が将来したいこと職位転換を希望するか」など、何かあったら書く欄がある。ここに障がい者、育児、介護など書いておけばいいのかも。そのうえで私は上司に、「だからと言って何かをしてほしいということではない。こういう状況なので迷惑をかけることがあるかもしれない」と伝えた。 ・介護と両立させられる制度は利用できそうか?在宅勤務とか。 ・その人を活用するのが難しい。管理するのはそうでもないが、何を任せたらいいか分からない。 ・会社に行かないとできないことは、人と会うこと。 ちゃんと自分で計画を立てれば、会社に行かなくても個人作業は進められる。今は対人対応もメールで済ませられる。 ・サテライトオフィスや、社内に保育園とか整備しているところはある。 【和氣】 社内制度を上手に利用するために、空気を作るためにどんな工夫があったらいいだろう。どういうことを継続していくことがいいと思う? ・オープンになってママサロンみたいにケアサロンなどあってもいい。 ・半年に一回など定期的に研修がある。最近の新入社員は福利厚生を重視するので、新入社員研修で教えておくのはどうか。親がいつ介護状態になるか分からないから、早めに知っておくのは良い。 ・言っても否定されない空気、言っても安全だと思えること。 ・管理職側は、「言ってくれれば聞くのに」という待ちの姿勢でいることもある。 ・介護者自身が、思い切って言えるように変わることも必要。